食糧増産を至上命題にスタートした愛知用水、昭和36年通水開始の6年も前に、早くもこの水を工業にも活用しようという動きが始まっていた。
戦後10年ようやく我が国の復興も確かな歩みを始めた。所得倍増、高度成長の掛け声とともに各地に臨海工業地帯建設の機運が高まった。かくあることを予測していた濵島辰雄氏は、「農」と「工」を両立させる秘策を胸に秘めていた。
これが決め手となって知多半島名古屋港沿岸には、「物造り日本一の愛知県」を支える基幹産業大手10社(発足当時)が進出し、愛知用水は農、工、生活全般を支える命の水となるのである。
現代文明を支える「もの」は何であろうか。その一つとして「鐡」があげられよう。百余年も前に、ビスマルクは「鉄は国家なり」と言った。当時のこの言葉には、血の匂いが染みついていた。
幸いにして新生日本では、血の匂いと訣別することが出来た。平和な社会を建設するために大量の鐡が活用できる情勢となった。 人、時、処が相俟ってここに進出した企業の内、特に愛知用水に縁が深いと思われる新日本製鐡株式会社(当時は東海製鐵)名古屋製鐡所を訪れることにした。
「鐡」の生産に「水」がどのように役立っているのか、この目で確かめようと思ったからである。
ゲストホール前にて 不老会会員4名
役目を終えた高炉の基底部
内周は、耐火煉瓦
ノズル状の突起は熱風吹き出し口
外周に隈なく取り付けられた冷却水管と、センサ
現役第3高炉の雄姿遠望
不老会員4名
基本的に所内は撮影禁止であるが、上に掲載の写真は「記念撮影」を許可されたスポットで撮ったものである。
平成22年 8月27日(8月2回目の個人見学デー)
有志の不老会員3氏と新日本製鐵名古屋製鐵所ゲストホールに09:30集合。
夏休みも終わり間近とあって、子供さんの姿が多かった。
10:00より、ホールにて概要説明およびビデオの上映あり。
水の使用量は、約190万立方m/日、この内約9割は、処理後再利用している由。
従って正味の愛知用水よりの受水量は約20万立方m/日とのこと。
ちなみに名古屋市上水道の給水量(消費量)は約100万立方m/日とのことで、いかに製鐵に大量の水が不可欠であるかがよくわかる。
主な用途は、製品の冷却である。単に冷やせば良いというものではなく、冷やし方一つで製品の品質が決まる。(加熱も含めて熱処理という)勿論、水質も重要な要素であって、不純物の多い水では良質の鐡は生まれない。
名古屋製鐵所の敷地面積は、約623万平方m名古屋ドーム(約48,000平方m)が130個建つ勘定になる。
ここに新日鐵約3,000名 協力会社167社約1万名の従業員が鐡の生産に従事している。まるで一つの都市のようである。
年間生産量は470万トン、40%は輸出向けとのこと。製品の内訳としては薄板(自動車、電機、建築、食品等)80%厚板(造船、重機、建設等)15%管(中径、小径各種)5%などとなっている。
ホールでの事前説明を終わり、総勢約70名、2台のバスに分乗して所内の見学に出発する。
所内に樹木が多い。約34万本に達する由。開設当初から環境面に気を配り、従業員が協力して増やして来たとのこと。赤茶けた鐵の世界に「緑」の効果は絶大らしい
広い道路に信号もあり「交通取締り」もあるそうな。ガイド嬢の説明を聞きながら、最初の降車スポットに到着。車外はヘルメット装着必須。
ここにはかつて現役だった高炉の一部分が展示されていた。現在稼働中の第3高炉が、遠くに見える。それと比較しながら考えると、いかに巨大な代物かを痛感する。
内面は丈夫な耐火煉瓦であるが、日々連続して「超高熱」に晒されているため、いつかは引退しなければならない。
この「退役」高炉は、1992年より15年間働き続けた「古強者」なのである由。
この炉壁も、冷却しなければ「超高熱」に耐えることはできない
右の写真で分かるように、数多の冷却用配管が取り付けられている。
ここにも愛知用水の水が走っていたのである。
再びバスに戻り、高炉の近くを通って原料受入れの岸壁を、車中より見学する。
鐡の原料は、まず鐡鉱石。次に石炭。これらはすべて海路輸入依存。(オーストラリアが多い)
第3に石灰石。これは国内で調達可能。(陸路または海路)とのこと。
途中、溶銑を運ぶトーピードカーや、スラブと呼ばれる圧延前の鋼板の素を、赤熱状態のままで運べる180トンキャリヤカーなどの姿も見ることができた。
熱延工程の仕上ロール群
新日鐵提供(掲載許可済)
いよいよ見学コース最後の「熱延工場」に到着した。ライン全長約600m。
場内に入る前から「地響き」が感じられる。
パンフレットの写真やビデオから、ある程度は想像していたが、現実に自分の目で確かめられる期待に、年甲斐もなくワクワクする。
あらためて注意を受けた後、タラップを登る。ワーッと全身を包む熱気と騒音。
コースの始まりは、粗圧延機と仕上圧延機の間あたりか。暫く見ている内にようやくサイクルが呑み込めて来た。
まず加熱炉から取り出されたスラブは、転送用ローラの上で左右から加圧されて、板の幅を揃えられる。(スラブの厚さは約25センチ)
次いでスラブは粗圧延機(3スタンド)に轟音と共に取込まれ、瞬く間に下流に送り出される。このとき1対のローラにより圧し延ばされて板厚は薄くなる。(そば打のイメージ、但しそば打はは1本ローラ)
送り出された鐵の延べ板はすぐに上流に戻る。さらに下流→上流→下流と合計 2.5往復する間に最初の厚さは7センチにまで薄くなっている。(その分だけ長さは反比例して長くなる)
見学通路から大分離れているのに、真っ赤な鉄の帯が左右に通過して行くたびに、猛烈な輻射熱を感じる。鉄骨の陰に隠れたり、数少ない換気窓の近くで寸時の涼を求めたりと、とにかく暑い。
ラインの至る所で、湯気の上がっている箇所がある。これらは冷却用の水が使命を果たして蒸発して行く姿である。もちろん製品のみならず設備の冷却にも欠かせない。
上の写真は「熱延」工程ではなく、「厚板」工程のものである。
しかし現場の迫力は十分に伝わるであろう。新日鐵提供(掲載許可済)
ここからが圧巻である。次工程の仕上圧延機に送り込まれると7スタンドの仕上げローラを通過する間に段階的に板厚が薄くなり、最終スタンドで所望の厚さ(最薄 1.2ミリ~16ミリ)に仕上げられる。
板には切れ目がないので、スタンドを通過する度に板の流れ速さはアップしてゆく。最終速さは毎分約 1,200m(時速72キロ相当)とのこと。
各スタンドのローラには、紅白に塗り分けられた回転表示板が取り付けられている。これが下流になるほど高速に回っているのが目視でわかり、興味深かった。
この高速で吐き出される板(というよりテープの感じ)を巻き取ってコイルにまとめるのと同時進行で、ほとんど切れ目なく次の製品が進入して来る。コイルの重量は最大約27トンとのこと。
この長大な工場には殆ど人影はない。数か所のハウスに数人のスタッフが、コンピュータを監視しているだけと聞き、あらためて技術の進歩に驚嘆するのみであった
工場外に出ると、猛暑の筈の外気が一陣の涼風に感じられた。
ゲストホールに戻り補足説明、質疑のあと解散となった。
この見聞により、不老会と「縁」浅からぬ愛知用水の「水」が、「鐡」の生産を土台から支えていることを確認でき、きわめて有意義であった。
貴重な機会を与えて下さった製鐵所並びに担当スタッフの皆さんに感謝してこの見聞記を終る。
注)「鐵」は「鉄」の旧字体
(文責加藤豐)